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罪と罰-ひとは何故、罪を犯してしまうのか

10月1日
読了時間: 3分

ここでは繊細なテーマを扱います。

 

誤解を招かぬようにお伝えしたいのですが、ここでの内容は決して

・罪を犯したひとを擁護する意図ではなく

・被害に合われた方々を軽視する意図もなきこと

ご理解頂けたらと思います。

 

個人的な印象ではありますが、罪を犯してしまったひとに対して、この社会では

-「罪に対してどのような罰が課されるか」に焦点が当てられ

-「なぜ、罪を犯してしまったのか」「原因に対して、どう対処すれば再犯が防げるのか」

については、あまり焦点が当てられていないように感じています。

 

勿論、「罪に対する責任、そして罰」という点は大切です。

しかしそれと併せ、「如何にして罪が罪を生む構造を断つか」という観点も大切だと感じます。

 

“行為の責任”と、“人がそこへと至るまでの背景”は別の次元で扱う必要があり、「行為」は外側に現れた事実、「背景」はそのひとのこころの内側に存在します。

 

つまり、こころのなかにある根っこへとアプローチしなければ、罪が罪を生んでしまう悪循環を断つことは出来ません。

 

人は誰しも、できることなら穏やかに生きたいと願っているのではないでしょうか。

しかし、その願いが叶わないほどの痛みや孤立を抱えてしまうことがあります。

 

犯罪行為の背景には

・生育環境

・トラウマ

・愛着の問題

・社会的な孤立

・経済的困窮

・精神疾患

など、様々な要因が複合的に絡んでいます。

 

一概には言えない事ですが、多くの場合、それらの選択の背景には、未処理の痛みや孤立が積み重なっています。人生に於いて、好んで悪い方を選択するひとは、そう多くはないのではないでしょうか。

 

罪を成したひとの、その根っこに対する理解を通して、罪の循環を断つ。

それは転じて、被害に遭われた方々への償いの一助となり、更なる被害者を生まないための予防にもつながります。

 

会社に於いても、規則違反を成した社員に対しては制裁が科されます。

しかし、「なぜそこへと至ってしまったのか」という内側の根っこへの対処は十分には成されておらず、その個人に委ねられてしまっていることも少なくありません。


家族、会社、国家と、規模が大きくなるほどに、事象は複雑になります。

しかし、理解を必要とするのはいつも、個人個人の「こころのなか」にあります。

 

自身のこころを深く見つめることにより、他者への理解は深まっていきますが

ここでのテーマとは逸れてしまうので、今回は深く触れずにおきたいと思います。

 

「罪と、その責任に対する罰」

「罪が成されてしまった背景への理解」

 

このふたつを通して、罪が罪を生んでしまう悪循環を防ぐ。

そうした営みが必要だと、わたしは感じています。

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