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静寂の中の言葉たち
-こころのしくみと、生きづらさをほどくちいさなエッセイ-
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「生きる」のではなく、『生かされている』
人生はなぜ、こうも苦しみに満ちているのでしょう。 幼い頃には想像もしなかったような困難を、いつの間にか抱えてしまうことがあります。 抱えざるを得なかった試練、苦境には深い意味があり、その先には幸福が待っている- そう頭の中では理解しようとしても、納得をもって生きていくことは簡単ではありません。 もちろん、明るい方を観ようとすることは大切です。 しかし、“明”を観ようとすればするほど、対極となる“暗”に意識が向いてしまうこころの性質があります。強い光を照らすほど、影は色濃く映し出されるように。 しかしふと -なぜ人生がこうも苦しいのか -こんなはずがない -“どうすれば”幸福を得られるのか と煩悶するとき、「わたし」が無意識に、ある前提に立っていることに気づくことがあります。 「わたしが人生をコントロールしている」 ・わたしが人生の主導権を握っている ・わたしは人生をコントロールできる(はずだ) 人生という荒波を航海している、舵取り主のような感覚です。 しかし、わたしたちは本当に人生の舵取りができているのでしょうか。
10月4日


『諦める』とは、「明らかにする」こと
「諦める」という言葉。 仏教で「諦」は、サンスクリット語「Satya-真理」を訳した語で、「諦める」とは【真理を明らかに見る】という行為でした。 現代に於いては、断念、ギブアップすること、のような結末の感情だけがフォーカスされ、ネガティブな意味合いを持つことが多いのではないでしょうか。 本来、「諦める」という言葉は -よく観て -道理を知り -執着を手放す というプロセスを意味したものだったのです。 わたしたちは日常に於いて ・ありのままの現実を直視できず ・「こんなはずではない」と抵抗し ・改善や解決策を探すことに奔走します -パートナーが家事育児を手伝ってくれない -子供が学校へ登校してくれない -会社からの評価が不当で、不満がある 多くの「こうあるべきではない」に対して葛藤し、不安を抱え、何とかしようともがき苦しみます。 然し、パートナーも、子供も、外の世界も「そうなる必要があって、現象として立ち現れています」。この点は、ただ言葉で説明されてもすっきりしないかもしれません。それは、わたしたちの思考ではわかることの
9月27日


こころの成り立ち-傷と心の反応
わたしたちは日常のなか、様々な出来事に遭遇します。 同じ出来事を経験しても、人はそれぞれにまったく異なったこころの体験をします。 ある固有の経験をとおして ・Aさんは楽しい、嬉しいと感じ ・Bさんには苦痛で悲しいと感じる そのようなことが起きます。 それは、こころのフィルターがひとりひとりに異なっているから。 そしてそのフィルターが形成された背景には、幼い頃の境遇、親や社会からの価値観などが複雑に絡み合っていることが往々にしてあります。 -なぜ、自分のこころはこのように反応してしまうのか -こころの傷がどのように形成されたか -変わりたいけど、変われない そうしたとき、自身のこころが、どのような性質(フィルター)を持っているのかを理解することで、ほんの少しずつでも、傷を癒し、反応の仕方が変容、変わっていきます。 ひとつの事柄や心理的な要素を取っても、さまざまな受け取り方があるという一例として、一緒に辿ってみたいと思います。 事象:パートナーが自宅のソファに座ってうつむいて座っている それを観たAさんのこころには..
9月20日


悟り-自由意志はあるのか
-悟りとはなにか -悟りに至るにはどうすればいいのか よく耳にする言葉です。 ここで書く内容は、失礼な意味ではなく、大多数の方々には理解して頂けないかもしれません。 そして同時に、わたしの生きる指針に於いて核心部となる内容でもあります。 また、個別のテーマ(人間関係、不登校など)とは別の次元のテーマを扱っていること、ご理解いただきたく思います。 わたしたちは日常に起こる、望まぬ出来事、 -こうあるべきではない -こうあってほしくない と葛藤する事象に煩悶し、悩み苦しみます。 自身の選択した行動、投げかけてしまった言葉など、強く後悔し続けていることもあるかと思います。 然し、ここで問いたいのですが 「その選択は、本当にあなたが選んだ行為なのでしょうか」 もし、 「あなたが選んだように見えて、本当は選ばされている」 と言われたら、どう感じるでしょうか。 目の前にリンゴが置かれています。ふと、その「リンゴを食べたい」という気持ちが湧きました。それは本当に、あなたの意志で、あなたの選択で湧いた感情でしょうか。わたしは、そうではない、と捉えています。 お伝
9月17日


ゆだねる
このしばらく、九州方面から私のホームページへアクセスしてくださる方々が増えています。理由は、きっと皆さまの置かれている状況と関係しているのだろうと思います。 自分ではどうすることもできない出来事に巻き込まれたとき、人は深い不安や恐怖に襲われます。日々を生きるだけでも精一杯なのに、さらに大きな負荷が重なる。その矛盾ややり場のない思いに、胸が締めつけられることもあると思います。 生きることは、いつも矛盾を孕んでいます。 正しさや誠実さだけでは乗り越えられない瞬間に、誰しもがぶつかります。 泣きたいとき。 誰かに話を聴いてほしいとき。 誰かの声を求めるとき。 わたしたちは、自分ひとりでは生きていけません。誰かに頼り、ときに支え合いながら生きることこそ、本当の意味での「自立」なのだと私は思っています。 いま、苦しみのさなかにある方へ。 生きているだけで、もう十分です。 努力や頑張りができなくても、何者かになれなくても。 あなたは、生きているだけで祝福されるに値する存在です。苦しみは、わたしたちが望むときに去ってはくれません。 ただ、嵐が過ぎるのを待つ時間
8月10日


叶わなかった願い
もしあなたにも、叶わなかった願いがあるとすれば その痛みは、あなたが誰かを深く愛した証なのかもしれません。 わたしたちは、人生を経るに従い さまざまな出来事を経験していきます。 なにもわからずにこの地に生まれ落ち 家族というちいさな世界のなかで育ち この世界への期待、そして夢を思い描いたり 気がつくと、自分のこころに なにかオモリのようなものが在ることに気が付く 初めはその扱いもわからず ただただそれを抱えながら、日々を生きていきます でも、いつの間にか、オモリの存在は大きくなり それに結びつく悲しみや孤独、虚しさに出くわしていく こころから好きなのに、関係をうまく築けない ただ大切にしたいだけなのに、関係がこじれてしまう 夫婦になって、様々な出来事-出産や子育て、仕事-を共に経てきた。でもどこからか、生き方、価値観のズレを感じ始めてきた。ズレは日を追うごとに大きくなり、もう駄目かもしれない。 わたしを育ててくれた両親。でも、わたしは彼らを大切に思う一方で、辛く悲しい思いをしてきた。将来、彼らが自身で生きることが困難な日を迎えたとき、わたしは
7月11日


いのちの継ぎ手
コップに水をくべ そこにアボカドの種を据えておくと しばらくして種が芽を出し始めます その芽は次第に大きくなり 鮮やかな緑を呈し、立派な葉を開きます 一方で、土の表面近くにある アボカドの種は、次第にしわがれ しょぼくれて小さくなっていき どんどんと立派に育っていく葉を 下から眺めているようにも見えます わたしはそこに、 生命として、人間としての親子 いのちのバトンを感じざるを得ません 親子のかたちは様々なので いちがいにこれ、と言うことはできません でもときに、 自分が何のために生きるのかと 思いを巡らすとき そのアボカドの種を思い出すことがあります 幸いにして、ゆたかな愛情を 得られたひとであっても 愛情にめぐまれなかったひとであっても 誰もが精一杯を生きています 誰も彼も、好きこのんで 自ら選んで、愛情不足になった訳ではなく 愛にめぐまれた人間に生まれることを 選択できたのであれば それを選んだのではないでしょうか どのような形であっても わたしたちは精一杯に生きており わが子であっても わが子ではなくとも、次なる世代の子らへと その精一杯
3月29日


ありのまま からの逃避
自分を変える努力 退屈を紛らわせる遊び このままでいいのかという葛藤 あらゆる行為を、止めてみてください それらはすべて、 「ありのままの私」から遠ざかる行為です きびしい言葉ですが ありのままの私からの、逃避行為です 多くの人は、生まれた瞬間より 社会や親、文化的なものからの影響を浴び続け それに準じた価値観や生き方を形成します 刷り込まれた正義や正しさ、理想と ありのままの私、の間にあるギャップを 埋めなくてはいけない、という焦り、不安感から なんらかの行為が生まれます 行為は身体的、物理的なものから 心理的なものまでを含みます 不安や孤独感から葛藤したり このままで良いのかという迷い あらゆる精神的な行為をも、止めてください いわゆる充実感、まぎらわせを 外の世界へと求める行為を、止めてください そのとき、あなたは あなたが恐怖してきたものの中へと 飛び込むことになります ー将来に対する不安 ーひとり在ることの孤独 ー生きることの虚しさ そのなかへ飛び込んで ただ、じっとしていてください わきあがる感情や考えには抵抗せず ただただ、認識し、
3月28日


縁起
「無駄なものは、なにひとつとして無い」 わたしが仏教とのご縁を授かった頃、頂いた言葉です。 いまの苦労、困っていること 子供や夫婦関係のトラブル 会社や仕事での行き詰まり すべては、起こるべくして、起こっています。 -そんなはずはない。 こんなに苦しく、矛盾したことが 起きていいはずがない- 仰る通りだと思います。 この世界は、矛盾や不条理にあふれています。 でも、それでも 無駄なものは、なにひとつとしてありません 来たるべき時がくれば、落ち葉は落ち 微生物がそれを分解し、土をつくり そしてまた、樹の赤児を育てます そこには驚くほどに、神秘的なほど 無駄なものがありません。 私たちもそれにおなじ、自然の一部です。 起こるべきとき、縁は起こります。 人との出会いはもちろん、あらゆる出来事にも。 いまは良縁とは思えなくても いつか、この出来事が実を結び、 新しい世界や夢、いま願うことに つながることもあります。 もちろん、たしかなものは なにひとつとしてありません。 そこに理屈や、科学的な見地は必要ありません。 というより、差し挟む余地はありませ
3月1日


ありのまま -自然法爾-
「ありのまま」 この言葉をテーマに、カウンセラーの活動を始めました。 ありふれた言葉ではありますが、いま思うと、私自身が苦しみを意識し始めた 10代のころから、人生の中心となる言葉であったと思います。 ありのまま、とはどのようなものでしょうか。 さまざまな本やメディアで謳われる言葉ですが、 どんなに意識しても、頑張っても、ありのままでいることができず、 苦しみが増してしまう方が多くいらっしゃるのではないでしょうか。 “よし、ありのままでいるぞ!” イメージはし易いですが、力んでしまった時点で、 ありのままでいることはできません。 “これがありのままの私。あれが好きで、これは嫌いで・・こういう人なんだ” もちろん、多くの方が自分のことを知っていて、 自分のことについて説明ができます。 でも、その内容は、本当に「ありのままのあなた」でしょうか。 くどい謎解きのようではありますが、大切なことなのです。 私たちは知らない間に、それはこの世界に生まれ落ちた瞬間から、 両親や社会-学校教育や本、メディア、インターネット-による 膨大な情報 (知識、文化的背景
2月17日
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