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静寂の中の言葉たち
-こころのしくみと、生きづらさをほどくちいさなエッセイ-
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「不安」の構造
不安は人間関係や仕事、子どもの問題といった目の前の出来事から生まれているように見えますが、その根底には「存在の不安」があります。存在の不安とは、「私は愛されているのか」「ここにいてよいのか」「価値があるのか」といった、自分自身の存在に関わる揺れのことです。その多くは、幼少期の親との関係性や過去に受けたこころの傷によって形成されます。そのため、問題が解決しても新たな不安が現れ続けることがあります。不安と向き合うためには、自分を否定せず、身体を落ち着かせ、不安を言葉にすることが大切です。そして、安全で信頼できる他者との関係のなかで新たな経験を積み重ねることで、「揺れても大丈夫」という感覚が育まれていきます。不安を消そうとするのではなく、不安とともに生きながら本来の自分を取り戻していくことが大切なのです。
10月12日


罪と罰-ひとは何故、罪を犯してしまうのか
ここでは繊細なテーマを扱います。 誤解を招かぬようにお伝えしたいのですが、ここでの内容は決して ・罪を犯したひとを擁護する意図ではなく ・被害に合われた方々を軽視する意図もなきこと ご理解頂けたらと思います。 個人的な印象ではありますが、罪を犯してしまったひとに対して、この社会では -「罪に対してどのような罰が課されるか」に焦点が当てられ -「なぜ、罪を犯してしまったのか」「原因に対して、どう対処すれば再犯が防げるのか」 については、あまり焦点が当てられていないように感じています。 勿論、「罪に対する責任、そして罰」という点は大切です。 しかしそれと併せ、「如何にして罪が罪を生む構造を断つか」という観点も大切だと感じます。 “行為の責任”と、“人がそこへと至るまでの背景”は別の次元で扱う必要があり、「行為」は外側に現れた事実、「背景」はそのひとのこころの内側に存在します。 つまり、こころのなかにある根っこへとアプローチしなければ、罪が罪を生んでしまう悪循環を断つことは出来ません。 人は誰しも、できることなら穏やかに生きたい
10月1日


「役割」ではなく「存在」として生きる
あなたは人生を「役割」に生きていませんか。 -子供が自分を必要としなくなると不安になる -パートナーが自分以外の世界を持つと落ち着かない -仕事で役割が変わると自分の存在が揺らぐ 子供が成長し、巣立っていく過程や、パートナーとの関係性など、親密な他者との関に於いては、そのような心理状態が生まれることがよくあり、対象となる他者が自分を生き始めると、自分の価値が揺らぎ、からっぽになるような感覚を覚えることがあります。 それは ・自分の価値を「役割」と紐づけ ・自他の世界が分離できず(*) ・自分の価値を外側に置いてしまっている状態 かもしれません。 *ここでは心理学的な”自他の境界”の話をしています それ自体はけして悪いことではなく、幼い頃など、そうしなければ生きてこられなかった、という背景があるものと思います。親や社会から役割を課され、それがあなたの生きる価値だとみなされてしまった。あなたのその特性は生存本能として、身に着けざるを得なかったものです。 わたしの場合、父親にそうした気質があり -一家の主として尊重すること -自分を頼りにすること...
9月22日


こころの成り立ち-傷と心の反応
わたしたちは日常のなか、様々な出来事に遭遇します。 同じ出来事を経験しても、人はそれぞれにまったく異なったこころの体験をします。 ある固有の経験をとおして ・Aさんは楽しい、嬉しいと感じ ・Bさんには苦痛で悲しいと感じる そのようなことが起きます。 それは、こころのフィルターがひとりひとりに異なっているから。 そしてそのフィルターが形成された背景には、幼い頃の境遇、親や社会からの価値観などが複雑に絡み合っていることが往々にしてあります。 -なぜ、自分のこころはこのように反応してしまうのか -こころの傷がどのように形成されたか -変わりたいけど、変われない そうしたとき、自身のこころが、どのような性質(フィルター)を持っているのかを理解することで、ほんの少しずつでも、傷を癒し、反応の仕方が変容、変わっていきます。 ひとつの事柄や心理的な要素を取っても、さまざまな受け取り方があるという一例として、一緒に辿ってみたいと思います。 事象:パートナーが自宅のソファに座ってうつむいて座っている それを観たAさんのこころには..
9月20日


愛着障害
わたしは愛着障害を抱えながら生きています。 愛着障害とは、幼少期の養育環境によって「安心感の基盤」が揺らぎ、人間関係で強い不安や恐れが生じやすくなる状態を指します。 傷の根っこは、幼い頃の両親との関係性にあると思われ、安心と不安が極端に混在する家庭環境のなかで生まれました。 環境の変化やストレスが重なったとき、思いがけず発症することがあり、そのときは青年期に苦しんだ強迫神経症のよう、他者にとってはなんでもない事柄が、自身にとってはとてつもない不安を感じさせる事柄に受け取られてしまいます。 不安に駆られたとき、掴まれてしまったとき、感情的に行動してしまうのではなく、外の現象、現実からは距離を置き、できるだけ冷静に、客観的に事実を見極めようと努めます。 大抵の場合、外の現象や事実は自分が思っているほど大げさなことではなく、大げさに感じさせているのは、自身のこころのフィルター、更には根っこにある傷がそうさせているとわかります。 書いてしまうとシンプルに思えますが、当人にとっては、ある意味地獄です。 不安につかまれたときの苦しさは本当に辛い。...
9月10日
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