愛着障害
わたしは愛着障害を抱えながら生きています。
愛着障害とは、幼少期の養育環境によって「安心感の基盤」が揺らぎ、人間関係で強い不安や恐れが生じやすくなる状態を指します。
傷の根っこは、幼い頃の両親との関係性にあると思われ、安心と不安が極端に混在する家庭環境のなかで生まれました。
環境の変化やストレスが重なったとき、思いがけず発症することがあり、そのときは青年期に苦しんだ強迫神経症のよう、他者にとってはなんでもない事柄が、自身にとってはとてつもない不安を感じさせる事柄に受け取られてしまいます。
不安に駆られたとき、掴まれてしまったとき、感情的に行動してしまうのではなく、外の現象、現実からは距離を置き、できるだけ冷静に、客観的に事実を見極めようと努めます。
大抵の場合、外の現象や事実は自分が思っているほど大げさなことではなく、大げさに感じさせているのは、自身のこころのフィルター、更には根っこにある傷がそうさせているとわかります。
書いてしまうとシンプルに思えますが、当人にとっては、ある意味地獄です。
不安につかまれたときの苦しさは本当に辛い。
ふつうの人には何でもない、やり過ごせてしまう事柄なのに、自分自身には世界がひっくり返るように感じ、不安がアタマを支配し、自分の安全を確保したいがため、確認行動に走りたくなる衝動に駆られます。
パートナーとのことであれば
・自分は見捨てられないか?
・愛情は薄れていないか?
・わたしは相手を傷つけてしまったのではないか?
など、確認行動への衝動がわいてきます。
これは愛着不安の典型的な反応で、安心を得ようとするこころの自然な働きです。
然し、確認はどれだけしてもきりがなく、更に不安を増長させます。
そんなとき、まずは自身の中で状況を受け止め、落ち着いて事実を整理しつつ、違う視点での見方がないかを考えます。
ふと、違う視点が見つかり、不安が収まっていくこともあります。
本当に、取り越し苦労の世界なのです。
損の多い人生だな、と感じます。
不安は、自己保存欲求から生まれるものでもあります。
過度に自身を保護しようとしすぎ、プログラムが暴走してしまう。
そんなときは、つらいですが、落ち着いて、自身のこころのなかで整理してみる時間を取ってください。
今はAIなどのツールもありますから、ひとりで抱えきれないとき、こころの整理に使うこともできると思います。
それを繰り返していくうち、自身の認知の歪みにすこしずつ気が付き、自己修正をかけ、そしてこころのなかに安心を育てていく。
愛着障害、不安は消え去るものではなく、それに対する向き合い方、こころの姿勢が、すこしずつ変わっていくもの。
すこしずつ、ゆっくりで大丈夫です。
一緒に歩みを進めていきましょう。


