top of page

「かれは、わたしの父でした」

4月4日
読了時間: 3分

更新日:7月23日

これは、わたしの個人的な人生の話です。

何かを善悪で測る意図はありません。


ご理解頂けたらと思います。


わたしの父は、独裁的なひとでした。


自分が全てで、他者はそこにはおらず

暴力的な言葉や態度で、家族を傷つけ

それにより自分の傷を癒そうとする


そのようなひとでした


わたしの幼いころ

家の中は荒れ、暴言や物が投げ壊され

両親の夫婦喧嘩は日常でした


幼い、若い時分の私には

自分を顧み、ケアをする余裕は無く

両親の関係を仲裁しようとしたり

ただ怯え、家族が壊れないように

母が消えてしまわないようにと

びくびくしていたように思います


ある程度大きくなった私は

自身のなかに、両親に対する

とめどない怒りを見出すようになります


死期の近付く父に向かって

電話越しに「ひとりで死ねばいい」

と言葉を投げつけたこともありました


父は、最期まで

過去の過ちや孤独、虚しさ

それらを受け入れることができず

必死に逃げ続け、孤独のなかに死を迎えます


父の死を経て

ある時期より両親への怒りは

不思議とちいさなものになっていきました


もうどうでもいい

そんな感覚でもありました


父の最期

ー実家にある壮絶な孤独の痕

ー飼い主を失ったペットの死

ーいのちの最期を抱えた場所


さまざまな形での

「いのちの終り」を見、感じました。


わたしのなかの人生観

生きる、ということへの何かが

そのとき変わったように思えます


四十を経た今

父は自身の人生、生を以て

「私に同じ道を歩まぬよう導いていた」


そんなふうに思うことがあります


父を英雄視したいとか

前向きに捉えたい

そういう意図ではなく


ただ時折、そのような言葉が浮かぶのです


父自身のなかで、具体的に

そのような意図をもっていたとは

残念ながら思えません


私のなかで、自身の人生を

合理化しているだけかもしれません


それも、私には理解の及ばないことです


でも、事実、父の歩んだ人生

長年抱えていたであろう孤独や苦しみ

それを眺めてきた自分は、それによって

自分が同じ道を歩まないのかもしれない


そのように思えることがあります


父はひとり、孤独のなかに

生命を全うしました


私は正直に言って

父と同じよう、孤独に耐え

ひとりで最期を迎えられる自信はありません


どのようなかたちであれ

父は最期までいのちを生き

全うしました


父が、

善い人であったか、悪人であったか

今となっては、わたしにはわかりません


世間的には、「酷く、大変な人だったね」

そのように言われることがよくあります


けれど、私にとって答えはシンプルで

誰に問われても、答え方は同じだと思います


かれは、わたしの父でした。

bottom of page