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静寂の中の言葉たち
-こころのしくみと、生きづらさをほどくちいさなエッセイ-
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子どもの不登校と、わたしのこころ
子どもが学校へ行けないとき、わたしたちは 自分を、そして子どもを責めてしまうときがあります。 この文章を読んで、あなたのこころが すこしでも軽くなってもらえたら、わたしは幸せです。 これまでわたしは、「不登校」という言葉を できるだけ使いたくないと感じてきました。 それはどこか -社会的な問題 -重たいもの -(無意識に) 子供たちが責められる構図 そうしたものを感じ取ってしまうためです。 「不登校=良くないこと→改善しなくてはならない」 という形では、捉えたくないと感じています。 わたしの息子は長い間、学校へ行けていません。 その子、その子の特性もあると思いますが ほかの兄弟も学校へ足が向かなくなってしまいました。 彼らが安心できる家庭を築けてきたかと問われたとき わたしは胸を張って、そうだと言うことはできません。 (誤解なさらないでほしいのですが、家庭は安心の土台にはなり得ますが 不登校がその原因だと意図するものではありません) わたしたちは、どうしても表面的な事象に囚われ 判断し、外の世界を変えようとしてしまいます。 -学校に行けない子供た
7月23日
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