叶わなかった願い
更新日:7月23日
もしあなたにも、叶わなかった願いがあるとすれば
その痛みは、あなたが誰かを深く愛した証なのかもしれません。
わたしたちは、人生を経るに従い
さまざまな出来事を経験していきます。
なにもわからずにこの地に生まれ落ち
家族というちいさな世界のなかで育ち
この世界への期待、そして夢を思い描いたり
気がつくと、自分のこころに
なにかオモリのようなものが在ることに気が付く
初めはその扱いもわからず
ただただそれを抱えながら、日々を生きていきます
でも、いつの間にか、オモリの存在は大きくなり
それに結びつく悲しみや孤独、虚しさに出くわしていく
こころから好きなのに、関係をうまく築けない
ただ大切にしたいだけなのに、関係がこじれてしまう
夫婦になって、様々な出来事-出産や子育て、仕事-を共に経てきた。でもどこからか、生き方、価値観のズレを感じ始めてきた。ズレは日を追うごとに大きくなり、もう駄目かもしれない。
わたしを育ててくれた両親。でも、わたしは彼らを大切に思う一方で、辛く悲しい思いをしてきた。将来、彼らが自身で生きることが困難な日を迎えたとき、わたしは彼らを支えられる自信が無い。こんな自分は不道徳な人間なのか。
この世界には、様々な物語があります。
ひとつとして、同じものは存在しません。
このケースは正しい、そしてこれは間違い。
学校のテストのよう、どこかで線を引き、○×を付けられるものでは無く。わたしたちは本当に、グレーで、グラデーションを抱えた人生を生きています。
一方で、人間、そしてこの人間社会は、特定のパターンやものさしをもって、ひとの人生や行いを白黒で判定しようとする面があります。
そのとき、わたしたちは如何に自分たちが、対象となる存在-ひとや人生など-の表面だけしか見えていないのに、「わかったつもり」になってジャッジ、裁いていることに、気が付きません。
自身の偏ったものさしで
うわべだけの、断片的な情報で
すべてをわかったつもりになり
対象となる他者の人生を裁いてしまいます
それは集団化すると歯止めは効かなくなり
暴力的なまでに、他者を追い込むこともあります
-家族、SNS、学校、国家
様々な単位や形はあれど、根っこの構造は同じです。
コロナの時期、多くの方々が、未然の閉塞感のなか、他者や自身との関係性に傷つき、自身で命を絶ったことは、まだわたしたちの記憶に新しいことと思います。
亡くなられた方には、多数の有名人もいました。
この「わたしはわかっている」、「わたしは正しい」ということの傲慢さ。
それは他者との分離、関係性の分断、そして、苦しみや暴力、混沌を生む根っことなります。
この世界には、どれだけ正しく生きたい、と願っていても、どれだけ守りたい、と願ってきても、思う通りには運べない、大きな流れがあります
幼い頃より大切に思ってきた自分の両親が、
いつしか認知を病み、自身も高齢になるなか
様々な困難が重なり、両親の命に手をかけてしまった。
そんなことが、現実には起きています。わたしたちはそもそも、誰かを裁けるものなのか、と疑問を感じずにはいられません。シンプルで単純な善悪をもって、裁けるものなのか。
わたしたちは「なにもわかっていない」ところに立ち、「知ること」「理解しようとすること」から始めることが必要だと思っています。
どれだけ知ろうとしても、すべてを理解することはできません。「わかっている」状態など、起こり得ないことなのです。
わたしたちには、どれだけ願っても、どれだけ頑張っても、叶わない願いというものがあります。
それは悲しく、胸をえぐられるようなことかもしれません。わたしたちはそんな世界に生きています。
でも、ひとつだけ、確かなことは
「わたしたちは、たしかに愛してきた」
ということかもしれません。
ボタンのかけ違いがあった
頑張っても、頑張ってもだめだった
本当は一緒にいたかった
こころから、大切に思っていた
その「もう戻らないもの」を
わたしたちは、「たしかに愛していた」
あなたのこころの傷の深さは
あなたがその存在を、深く愛していた証拠ではないかと思うのです
それだけは、たしかな事実なのだろうと
わたしには想えるのです


